アシュリー・ブラッドベリ & アストライアー
『やっぱり、あの子が来たわね。占うまでも無かったわ』
「そうですね。私も、そう思っていましたわ」
ピラリ学園生徒会副会長。5年Sクラス、アシュリー・ブラッドベリ。
小柄な彼女だが、実はけっこう着痩せするタイプ。定理者として最前線で活躍していたときは、そのプロポーションと一生懸命な様子、そして(彼女自身は気にしているが)鼻の上のそばかすがチャーミングで、ALCA職員の間でも人気だった。
彼女の横にいる、こちらも小柄な眼鏡の少女。アシュリーと盟約したテトラヘヴンの使者で、善悪を司る天秤を持つ星乙女のアストライアー。ちなみに彼女の元体は、プラネタリウムに行けば「乙女座」の姿で見ることができるだろう。
彼女たちの視線の先にいるのは、2年Sクラス、ニーナ・アレクサンドロヴナ。エキジビションマッチ・低学年の部の優勝者だ。
実は、アシュリーとニーナの経歴は似通っている。
もともと図書館に一日中籠もっていたい文学少女だったアシュリーも、ある時、定理者の資質に目覚め、当時の法律に従い強制招集を受けた。幸い、何人もの使者との盟約に恵まれ、様々な事件の解決に尽力することができた。
ニーナも同様に、資質に目覚め、強制招集を受け、数々の修羅場を超えてきたと聞いている。
そんな二人が今、同じ様にこのピラリ学園に通っている。
アシュリーとニーナは学年が違うものの、実は図書館でよく出会っていた。
アシュリーが主に読んでいるのは西洋文学、特にファンタジー小説、あるいはその元になる背景世界を教えてくれる歴史や教養本だったが、ニーナの方は主に理系、天文や物理の難しい専門書の棚に用事があったようだ。だから出会うと言ってもすれ違いばかりだったが、彼女が本を探していた時、図書館中の棚を把握していたアシュリーが手伝ったこともある。一方アシュリーがアストライアーにせがまれて天体望遠鏡の据えられた天文室に赴いたときは、ニーナに案内してもらい、星を見せてもらった。
ニーナがこの学園に来てからのあれこれは、昨年卒業していった森ヶ谷夕子先輩から少し聞いている。傍目にもALCAに戻りたくて仕方ない様子が見えたが、良い友達に恵まれたのだろう、今はこうして学園に残ることを決めたらしい。
一方のアシュリーは、この学園に編入された当初から学生生活を楽しんでいたから、そこはちょっと違う。でもそれ以外は、確かに似ているかもしれない。
「でも、私はこれでも3年先輩、お姉さんですから」
『自信があるの?』
「さあ、どうでしょう。アストライアー、貴女の占いではどう出ていますの?」
『自分のことはわかりません。わかっていて聞いているでしょう』
「ふふっ」
アストライアーは、星の運行から人の運命を読み取る力を持つ。とはいえ、それは本来の世界・テトラヘヴンでのこと。このセプトピアの星空は故郷と全く違うし、そもそもこの世界に適応した身では、人を超えた力は使えない。
『でも、この戦いもアシュリー、あなたとあの子、ニーナにとって大事なものになる。星がそう言っている気がするわ』
「なら、がんばらなくちゃね」
体育祭は、いよいよ最後の競技を迎えていた。
ここまで、紅組と白組は点差が大きく開くことも無く、鍔ぜり合いを繰り広げてきた。
午後の目玉であった「大・騎馬戦」では、2年生ながらSクラスの橘弥生が軍師に就任。エースとも目されたニーナ・アレクサンドロヴナをあえて出場させず温存。しかしその他の騎馬たちを巧みに運用。どこから持ってきたのか軍配を右に左に振って巧みな作戦指揮を執れば、対する紅組は桐谷華凛率いる「くの一騎馬隊」が遠方から弥生の指揮を盗み見ていち早く対策を打つ情報戦を展開。非常に見どころのある戦いとして、来賓一同からも高く評価され、映像ソフト化の要望も高いと聞く。
そして今。
森や川、池なども見え隠れする「特別訓練場」に、二人の生徒が進み出ていた。
「いよいよ! エキジビションマッチ最終戦が始まります!
この戦いは、高学年より使用される、より実戦に近い地形を反映する特別訓練場にて実施されます。低学年のニーナ選手にとっては、アウェーの環境となりますが、大丈夫なのでしょうか。解説の神楽先生?」
「まー だいじょうぶだろー」
「はい、いつもの適当なコメント、ありがとうございます!」
エキサイトする実況と共に、特別訓練場に設置されたカメラが二人を捉える。
だが今回のカメラワーク・スイッチワークも生徒がやっているためか、ちょっと切り替えが遅く、観たい絵が見えてこない。
「もう! もっとニーナちゃんの表情を映して!」
紅組も白組もごちゃまぜで集合した2年Sクラス一同応援席。みな、かたずをのんで画面に見入っている。
「へっへーん そんなこともあろうかとー。合体!」
一同の中にいた、京橋万博が盟約者のセレン・リサーチャー013と合体する。
「ちょっと万博さん! 何する気ですの?」
「あたしもこの一年、何も進歩しなかったわけじゃあないっすよ。
なんと! 驚け! 遂に!
爆発しないタダの探査プローブが出せるようになったっす!」
「ええー!」「万博ちゃん凄い!」「まーちゃんやるう!」「それは驚きましたわ!」
「えっへん!」
『私としては、これで驚かれる状況に忸怩たるものを感じます』
盟約者の嘆きをよそに、爆発しないタダの探査プローブ、つまり偵察ドローンは空に舞い上がり、ニーナの戦いの一部始終を追う位置に就いた。
「それではッ エキジビションマッチ最終戦!!
高学年の部優勝、紅組5年Sクラス、アシュリー・ブラッドベリ選手!
VS
低学年の部優勝、白組2年Sクラス、ニーナ・アレクサンドロヴナ選手!
いざ尋常に、始め!!!!」
妙に時代がかったアナウンスの合図が終わるか終わらぬか、二人の少女はお互いに携えたフォーリナーカードを高く掲げ、叫ぶ。
「「ゲートアクセス・テトラヘヴン!!!」」
奇しくも二人が選んだのは同じ神聖世界・テトラヘヴンの盟約者だった。
黄緑のアカデミック・ドレス、所々を飾る星のアクセサリー。被った帽子は角帽に似て、その姿はあたかも星の世界の可憐な研究者。
アシュリーと、星乙女アストライアーの合理体である。
「アストライアー、星詠みを!」
そう。確かにこの世界に適応している間は、アストライアーも超常の力を使う事は出来ない。だがアシュリーと合体した今なら違う。この世界の星を読み取り、人の宿命を写し取る。戦いにおいて、相手の動きが事前にわかる事の有利さは、言うまでもない。
「―そう来ると、思っていました!」
星詠みに備え、周囲に星型のアドバイザー・星の子を呼び出したアシュリーが見たのは。
天使騎士団団長ミカエルと合体、光の六枚羽根を輝かせ、こちらに向かって一直線に、最速の踏み込みでレイピアを突きこんでくるニーナの姿だった。
『名誉挽回、私のレイピアの冴え、今度こそ!』
鋭い鋭い連続攻撃。
思わずたたらを踏むアシュリー。かわせているのが自分でも不思議なぐらいで、とてもとても星詠みをしている暇など、ない。
『星乙女が未来を読むというのなら―』
「―その間を与えなければいい!」
凄いな、と思う。
もう疲れているだろうに、しんどいだろうに、そんな事は表情のどこにも見せず、ひたすらに鋭く剣をふるう。彼女はなぜ、ここまで戦えるのだろう?
単純にそんな、興味が湧いた。
「トランスチェンジ」
星の子たちを束ね、ニーナの目の前に出し囮にして一瞬。
ニーナが再び突きこんだレイピアの切っ先は、
「えっ!?」
盾のような、緑のブ厚い何かに反らされ空を斬った。
かわいい、と何処かで誰かが叫んだ気がする。
トランスチェンジを経て、モノリウムの使者・巌のジェイドと合体したアシュリーは、緑の着ぐるみを被った様な姿になっていた。彼女の頭の上に、半開きの大きな目がユーモラスなぬいぐるみの頭が乗り、まるでぬいぐるみの怪獣に食べられたみたいな様子だ。
全体的にずんぐりむっくりで、とても戦いに向く姿には思えない。
(でも・・・ モフモフ・・・ いけないいけない)
散りそうな気持ちをしっかり束ねなおして細剣を握る。しかし。
『くっ・・・これではっ』
アシュリーの要所要所を装甲が守り、くるりとした曲線がレイピアを逸らしてしまう。さらに。
「ええーい!」
アシュリーが力任せにふるうのは、これまた巨大なハンマーだ。ジェイドの元体は大きなトカゲだが、その前脚を模した、太く重い一撃。
ミカエルと合体したニーナにとって、この大振りのハンマーをかわすことは難しいことではない。
しかし掠めただけでもその威力と重さを風圧が伝えてくる。危険な攻撃だ。ミカエルの大楯で受け止めても、そのまま身体ごと持っていかれてしまうだろう。
ならば。
「トランスチェンジ!」
『まっかせて!にゃあ』
今度はニーナから。午前中同様に、大振りの攻撃をかわすと同時にモノリウムの使者・闘舞のアイシャにチェンジ。得意の超近接戦に持ち込む。こう言っては失礼だが、
『さっきの相手に比べたら、楽な相手にゃあ』
弥生の如意棒に比べ、威力は上だが振りは大きく、スピードと回転力に欠ける。隙は見えている。
「はっ!!!」
空いた脇腹に掌底を叩き込む。が。
ぶにゅっ
「『え!?』」
不思議な手ごたえが伝わる。
「ニーナさん、それはあんまり効かないですわ」
と、アシュリーが笑みで答える。そう。アイシャ自慢の大掌底、そこから伝わる浸透勁も、ふわふわ~もこもこ~の着ぐるみボディが吸収、拡散してしまい、効果的な一撃にならないのだ。
「それならっ!」
アイシャの舞闘術はそれだけではない。素早く切り替えると、今度は足元を狙い鋭い蹴り。更に回って旋風脚。繋げて腕の金鎖分銅を使い、敵の攻撃を封じつつ、相手のバランスを崩すことを狙う。投げ技が決まれば相手の重そうな身体がそのまま攻撃になるし、いっそ金鎖による締め技だって選択肢だ。これならふわふわもこもこも関係ない。
巻き付いた金鎖をアシュリーが掴み返す。力で抵抗。鎖がぴん!と伸び、一瞬の静止。
「トランスチェンジ!」
え、と思った次の瞬間。
今度はアシュリーがトランスチェンジ。見せる姿は豪奢な和装。これを大胆に着崩し肩から胸元をはだけさせ、頭上に深紅の角をきらめかせる。ジスフィアの鬼女・艶鬼との合体だ。
「ええいっ!」
そのまま、掴んだ鎖をぎゅいと引く。ジェイド以上のパワーに、抵抗すらできず引きずられるニーナ。そのまま背中からアシュリーの胸元に抱き込まれてしまう。
『まぁ、かあいらしい子猫ちゃんやね。ふふ、頭から食べてしまおか』
本気かウソかよくわからない艶鬼に苦笑しながら、アシュリーはそのままニーナをぐいぐい絞り上げる。技も何もない、鬼の膂力に任せたベアハッグもどきだったが、その力をもってすれば十分な脅威。
「まだ・・・まだっ!」
ニーナは柔らかい体を前に折り、次にぐいっと後ろに勢いよく反らす。
「うわあ」
彼女の後頭部が鼻にぶつかりそうで、思わず首をそらしたアシュリー。とっさのことで少し腕が緩む。もちろんそれを逃すニーナではない。
「はあっ!!!」
緩んだ腕をつかみ、鉄棒の要領で上体を持ち上げ身体を抜く。そして今度は、畳んだ足を勢いよく後ろに叩きつけるカンガルーキック。見事脱出に成功する。
『あらら、逃がしてしもうた』
「いいえ、逃がしません!」
キックの反動で地面に転がるのを、あえてそのままにして距離を取る。間合いを取ってくるり振り向くニーナの目の前に、突然現れたのは―
『うー!』『やー!』『たー!』
薄青の小鬼たち。
「行きなさい!」
アシュリーがぐいと腕を突き出せば、背後の何もない空間から、あれよあれよと湧いて出る。
『だだだだだー!!!!』
「こ、これはっ」
艶鬼の力は、その鬼の剛力だけではない。魑魅魍魎たちをジスフィアから呼び出し使役する、鬼道もまたこなすのである。
まるっこい外見にまんまるおめめ、これまた可愛らしい外見の小鬼たちだが、
『うわー!』『わー!』『わわわわー!!』
力が強い。そして数が多い。後から後からひっきりなしに湧いてくる。さらに。こちらの攻撃が当たっても。ふわり。拳が突き抜けてしまう!
『な、なんにゃー!!!!』
これには合体しているアイシャが恐れおののいた
『なにこれなにこれなにこれ怖い!おばけー!!!!』
「落ち着きなさい!」
合体している相手の精神が乱れてしまえば、力も半減してしまう。でもニーナは諦めていない。
『これはー 勝負ありましたわいなあ』
「いいえ、そんなはずはありませんわ」
小鬼たちに埋もれたニーナを、油断なくみすえるアシュリー。するとその期待に応えるごとく、光があふれた―!
「アモル、あなたの力を見せて」
『うん、ニーナちゃん!!』
ぎゅっと握った手と手。
次の瞬間、テトラヘヴンのキューピッド、アモルとトランスチェンジしたニーナは、白い天使の翼を広げ、まとわりつく小鬼たちを跳ねのけふわりと宙に浮かぶ。そして。更に 足元を掴もうとする魍魎たちを見下ろすと―
『や、闇からあふれし、ち、魑魅魍魎たち! わ、私の愛の矢で、元いた場所に帰ってください!!』
「―ロジックドライブ」
降り注ぐキューピッドの矢。
貫かれた小鬼たちは次々と、不思議に満ち足りた幸せそうな笑顔を浮かべ、塵になって消えていく。
『こら、あきまへんわぁ。相性がわるすぎやん』
もちろん、その矢が狙うのは小鬼たちだけではない。あらかたの掃除を終えた後、鋭く狙うは、無論アシュリー。
「行きます!」
こうなると今度はアシュリーの分が悪い。艶鬼のパワーが届かない空中から、苦手な聖なる矢をつるべ撃ちにしてくる。それなら。
「それで手はありますわ。―トランスチェンジ!」
今度は金色の光がアシュリーを包む。
光の中に現れるのは、上品な貴婦人のシルエット。いやその姿は、金色の装甲に包まれた流麗なる機体。トリトミーに数多ある自律戦闘機械群、同型の機体が秒単位で大量生産される合理の世界にあって、それらを指揮する目的でワンオフで作られた高級機。
『アシュリー、では戦闘指揮を』
「はい、やりましょう!」
ルカ・キャンドル237とトランスチェンジ。金の鎧に身を包んだアシュリーは、慣性コントロールを起動、ふわり体を浮かせ、ニーナと対峙する。
「さあ行きなさい! シューティングビット! ストライクビット!」
ルカの主な武器は、多様な戦闘用ドローン、ビットたちだ。
シューティングビットは小口径ながらレーザーカノンを備え、敵を包囲し様々な方向から光弾を浴びせる。ストライクビットは空飛ぶナイフといった武器で、死角からそのまま猛スピードで突進、体当たりする。
これらの攻撃を、ニーナはあえて低空飛行、森の木々を盾に、細かく鋭い機動でかわしながら次々弓矢で迎撃、さらに機を見てはアシュリー自身にも放ってくる。
それを防御用に展開したバリアビットで受け止めつつ。
『敵機の機動・攻撃速度は当初の予測を超えています。―しかし』
「ええ、わかります」
しばしの攻撃の応酬は、トリトミーの指揮官機たるルカに十分な分析の時間を与えていた。木々を見下ろす高空に占位しながら、ルカが呟く。
『本来、未来とは我らトリトミーの代名詞。
予知ではなく予測、データの蓄積こそが産む高度な計算による未来予測を、ご覧いただきましょう―
ノクターンビット01、02、起動』
「さあニーナさん、これはいかが?」
ノクターンビットは静粛性・隠密性に優れたステルス機能を持つ攻撃ドローン。相手の未来位置と姿勢を予測し、予め死角に潜む。その場で定められた攻撃のチャンスを待つ。そしていざという時、獲物に向け鋭く光刃を放つのだ。
「くっ!」
突然死角から現れたビットの攻撃を、すんでのところでかわすニーナ。しかしそのため、大きく体勢が崩れるのが観客の目から見ても明らかだった!
「ニーナちゃん!!」
悲鳴の様な声が観客たちから上がる中、アシュリーはさらなる一手を放つ。手持ちの武器、レーザーナイフを変形、指揮棒のようなタクトへ。鋭く前へと振り下ろす。
『「ロジックドライブ」』
「トライコンセントレート!!!」
全てのビットたちが十重二十重にニーナを取り囲むと、あらゆる角度から彼女を狙い、定め、撃ちこんだ。
「こりゃあ・・・ダメっす・・・」
「ニーナさん・・・」
2年Sクラスの皆が宙を見上げ、モニターを見つめ、手元のタブレットに目を落としながら呆然とする中、しかしリオンは、指をぐいっと突き出した。
「見て!!!! ニーナちゃんは、負けてない!!!!!」
目を疑ったのは、まず攻撃を繰り出したアシュリーだった。
攻撃の余波、宙に漂う煙が晴れた時、そこには黒と銀のスーツに身を包み、光の鍵盤を周囲に漂わせたニーナがいた。健在だ。
「ニーナさん・・・!」
『そんな! 私のビットの制御が、奪われた!?』
すこしばかり煤のついた、しかし誇りに輝く顔をついと上げて、ニーナは微かに笑みを浮かべた。
「今度は私の演奏を、聞いてください」
じゃあん、流れる旋律が見えない糸となり、ルカのビットたちを絡めとる。
『さあ、奏でよう! 即興だが私の新曲だ。聞き惚れるといい!』
新たにニーナとトランスチェンジしていたのは、ルカと同じくトリトミー出身の使者、エメラダ・シンフォニー076。
その正体は、意識をもった自律電子楽器の集合体だ。
弥生が午後の競技全てからニーナを外したのは、体力の回復を図るため、だけではない。
相手がアシュリーと分かったその時から、ALCAの広報局にアクセス。
公開されている使者襲来時代のアシュリーの戦闘記録を把握、分析、その傾向を掴み対策を立てる時間に充てたのだ。
特に、ルカとの合体により多彩なビットを操る戦術はやっかいで、隙が無い。一人で軍勢を相手にするようなものだ。
『ならば、私の音楽をこの子機たちにも聞かせてやろう』
それに対抗する手段を、ニーナの盟約者であるエメラダが有していたのはまさに僥倖と言えた。
もともとビットは、周囲の状況を確認するセンサーと、探査情報と命令情報を母機とやりとりするための通信回線を、いずれも有している。
そこに、エメラダからそのコントロールを奪うためのハッキング命令を音情報、つまり彼女の曲として流す。無論ルカのビットもハッキング対策は備えていたが、まさか音情報を解釈する過程でAIに誤作動をさせられるなど、想定にない事態だった。
「凄いな、ニーナちゃん」
ぽつり、改めて、アシュリーからそんな言葉がこぼれた。
去年のニーナは、ALCAに一日でも早く戻るため、その実力を証明しようと明らかに焦り、あがいているところがあった。
だが今、ALCAに戻ることを考えていない今、ここまで彼女を突き動かす、その力の源は、なんなのだろう。
『素敵な曲―! ウフフ、アイドルとしては、この挑戦、逃げるわけにはいかないよー!』
「トランスチェンジ!」
ルカのビットたちが消え失せる。
代わりにアシュリーの姿が再び輝くと、今度は大きな蝶の羽が広がる。
『オッケー! 今日のサプライズセッション、行ってみよう!
燃え上がれ、バーニングハート! ときめけ! ダズリングハート!』
「わったしのココロは、バーニング! あなたの視線で、燃え上がるうー!」
『私の即興曲に、歌詞を即興で付けて歌いだしただと!』
「あなったのココロは、ダズリング! わったしの気持ちを、うっけとめってー!!!」
アシュリーが今度トランスチェンジした盟約者は、同じくトリトミーのアイドルアンドロイド、シュガー・ディーバロイド741。
ピンクを基調にしたアイドル衣装に身を包み、七色に輝く蝶の羽で歌い、舞う。
「っ!!」
ビットをハッキングできなくなったニーナは、このままエメラダの力を使って音響攻撃をするつもりだった。しかし驚いたことに、今度はアシュリーの方が曲を乗っ取ってしまう。エメラダの即興曲はまるで流行りのアイドルソングに。戦いはあたかも、アシュリーのライブ会場に変えられてしまったかのようだ。
そんな中、間奏のタイミングでアシュリーがニーナにマイクを向ける。
「ねえ、ニーナさん。私、知りたいことがありますの」
「―何でしょう」
「ニーナさん、あなたは何故、ここまで頑張れるの?」
突然の問い。
でも、ニーナに躊躇はなかった。
「実力を、証明するためです」
「誰に? ALCAに? それとも先生たちに?」
「いいえ、いいえ」
かぶりを振って、強く相手を見据えて答える。
「私の― 私の大切な、大切な友達であり、ライバルである皆のために!
私は、私の力を証明します!!」
ニーナ自身はその力を、こういった競技めいた勝負の場で使うのは、ちょっと卑怯なのではないか、とも思っていた。使わずに済めばいい、と心のどこかで思っていた。
―でもそれは甘えだと、驕りだと今思い知った。
持てる力の全て、全てを使わないと、この先輩には勝てない。
そして私は、勝ちたい―
「行きます」
決意を視線に込めて、ニーナはフォーリナーカードを掲げる。
「トランスチェンジ、リリアナ!」
『ええ、ニーナ、存分に』
超自然世界・モノリウムへのゲートが開き、ニーナの盟約者、貴純のリリアナを呼ぶ。
たちまち合体。
黄色と緑が花びらの様に折り重なったドレス。修道女にも似たベールが頭を飾り、しとやかな印象を強調する。が、大きく開いた背中にはあやしい色香すら漂わせ、見た目通りの手折られるを待つ道端の花ではないことを匂わせる。
間を置かず、ニーナは花弁でできた杖を掲げ、高らかに宣言する。
「遥かな未来への希望、輝く明日への祈りを、ここに」
「『ロジックドライブ』」
「花園の祝福!!!!!」
その技に、刃はない。その技に、破壊はない。
ただただ、静かなる安らぎがあるのみ―
舞い踊る花びらに包まれたアシュリーは、身体から心から、力が抜けていくのを感じていた。戦う気持ち、抗う気持ち、激しい気持ち、脅える気持ち。何もかもが、優しい何かに包まれて溶けていく。
『あー・・・ なんか、しゃーわせー・・・』
この台詞が、本来ココロを持たないトリトミーのアンドロイドの口から洩れるという奇跡。自然、アシュリーの心もひたすら静かに穏やかに、眠りにも近い何かに落ちていく。
これがニーナのまさに必殺技、「花園の祝福」。
貴純のリリアナはモノリウムの百合の花の獣人だが、かの世界で彼女が有する癒しの力は貴重なもので、その身柄を狙われることも多かったという。身を護るために彼女が編み出した技。彼女が求める平和な世界を、強制的にでも叶える技。それが、一面に放出する花粉を吸引することによる薬効と、展開する花びらの色彩と花杖の動作による視覚から思考に割り込みをかける強制暗示で完成する、この技だ。
この技の効果範囲に入った者は、害意・悪意・猛々しい心を鎮められ、戦意を放棄してしまうのだ。
戦う力を喪ったアシュリーの身体は、そのまま下へ― 池の中へと落ちていく。
そして、水柱を上げて着水。
アシュリー・ブラッドベリは、墜落した。
「これは決まったかぁー! ニーナ選手の大技が炸・裂!
今入りました情報によりますと、この技は花園の祝福と言い、かの無差別襲来事件の際もニーナ選手が使用し事件を解決に導いたことで有名に―」
だがニーナは、騒ぎ立てる実況の声を聴いていなかった。
まだ審判から決着の声は出ていない。
リリアナとの合理体は飛ぶ力は持っていないので、そのままニーナも地面に着地。
ゆっくり、池に近づいていく。
・・・
そして、アシュリーの姿がぷかり、と水面に浮かんだ。
シュガーとの合体は解除され、黒い上下の下着か水着という姿。見る限り、気を失っているのか、目をつむったまま力ない様子で漂っている。
「後は、トドメさして決着っすねー!」
「流石はニーナさん! 大金星ですわ!」
上空の偵察ドローンの映像を、押し合いへし合いしながらタブレットで見守る2年Sクラスの面々。もう皆お祭り騒ぎだ。
だがそんな中、一人だけ、じっ とただ画面を見ていた者がいる。
リオンだ。
そして叫んだ。
「ニーナちゃん! 危ない!!!」
ニーナも、気をつけては、いた。
だが、連続したトランスチェンジの負荷、大技である花園の祝福の反動、いやそれ以上に、事前に立てておいた策がはまった事の安心感が、あと一歩の詰めのため、足を急がせたとして誰が責められよう。
池の浅瀬に水音を立てて入り、横たわるアシュリーに花杖を突きつけようとしたその瞬間。アシュリーの目がすっ と開き。彼女はこう、言った。
「ニーナさん、ごめんなさいね」
次の瞬間、ニーナの全身に電撃のような痛みが走り、痺れ、手も足も動かせなくなった。
「!!!」
力を失い崩れ落ちる身体。それをきゅっと引き寄せて支えたのは、ニーナの足首に巻き付いていた、半透明の触手。今の今まで見えていなかったそれを、わずかに動く瞳で改めてよく見れば。触手はアシュリーの身体から。彼女を包む、同じく半透明のベビードールの様な衣装から生えている。
そう、アシュリーは合体をただ解いた、のではない。
ふわふわと波間を漂う、クラゲ。
アシュリーはモノリウムのクラゲの獣人、泡沫のシェリーとトランスチェンジしていた。そしてその姿や、主な攻撃手段である電撃を放つ触手を透明化。
ニーナが近寄って来るのを、待っていたのだ。
「そ、ん、な・・・」
「ごめんねニーナさん。この娘、シェリーと盟約したのは、ピラリ学園に来るちょっと前だったから、ALCAの広報資料には載っていないんですわ」
「決着ゥー! ただいま審判が下りました! エキジビションマッチ決勝戦は、アシュリー・ブラッドベリ選手の逆転勝利です!!」
「だ…ま…さ…」
腕の中で力なく、しかし目力を込めて見上げるニーナと一緒に池から上がりながら、アシュリーは言った。
「ニーナさんも、たまにはファンタジー小説とか、ライトノベルとか、読むと面白いとおもいますわ。いっそ、バトルものの漫画でもいいかも。
ふふっ。この程度の『騙し』は、初歩の初歩、です!」
しばし後。
エキジビションマッチ優勝の表彰式にて、万雷の拍手で迎えられたアシュリー。
壇上を降りると、痺れの抜けたニーナから、改めて「負けました」と頭を下げられた。
「でも、次は負けません。必ず」
その強い瞳に、
「うん、そうだね。受けて立ちますわ。・・・ちょっと、怖いけど」
と返した。
去り際、ニーナはひとつ、アシュリーに問いかけをした。
「先輩、先輩はどうして…」
ニーナにしては珍しく、言葉が尻つぼみになっていく。
どうして戦うのか、とか、どうしてそんなに強いのか、とか。
あるいはもっと直截に、どうして勝てたのか? とか?
でもそんな事を聞くのは失礼と思ったのかもしれない。そこを最後まで言わせず、アシュリーは自分から切り出した。
「ニーナさん、私にも、夢ができましたの。
将来どうしようか― ALCAに戻るか、それともまた、別の仕事に就くか。
いろいろ、考えてました。
私は元々本の虫で、一日ずっと、夢わくわくの、胸ドキドキの、物語の世界に浸っていられれば幸せな子でした。
でも定理者に目覚めて、異世界の皆さんと盟約して、戦ったり、助けたり。
それはそれはタイヘンな日々でしたけど、でも楽しかったですわ。
おかげさまで、普通の子じゃ体験できないような、いろんな体験を。
それこそ、私が小さい頃に胸をときめかせて読んだお話の中にしかないような体験を、いくつも、たくさんたくさん、させていただきました。
だから今度は私が、この私の体験を、みんなに伝えたいな、って。
そう、思うようになりましたの
・・・
私、作家になろうと、思います」
そう言ってアシュリーは、ふわりとニーナに笑いかけ、
「だから私、もっともっとたくさんの、もっともっといろんな体験をしなければなりませんし、いろんな機会は逃さず、全力で、体験してみようと思いますの」
「・・・じゃあ、今日は・・・」
「とっても強い後輩から、全力で挑まれるなんて、なかなかできない体験でした。
だから私も、全力で、がんばっちゃいました。
それだけ、です!」
果たして未来。
アシュリー・ブラッドベリが本当に作家になり、その様々な体験を元に、夢わくわくの、胸ドキドキの、素敵な物語をいくつも紡いでいく、のかどうか。
アストライアーの星占いもルカ・キャンドル237の未来予測も答えを出すことはできない。
何故ならそれは、ひとえに、アシュリーの心ひとつに掛っているからだ。
でもアストライアーもルカも、それにジェイドも艶鬼もシュガーもシェリーも知っている事がある。
たとえ彼女がどんな道を選ぼうと、みな、それを支え手助けすることは確かだ、ということ。
さて何年か後。
ニーナ・アレクサンドロヴナは本屋に立ち寄る際、以前なら通り過ぎる小説の新刊が飾られた平台、その著名にはちょっとだけ、目をやるように、なった。
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